東北スタンダード
東北STANDARD

青森・秋田・岩手・宮城・山形・福島

Area Promotion - Direction / Planning / Produce

東北には、厳しい環境の中で生まれ、伝承されてきたものづくりがあります。工夫や知恵、想いを受け継ぎ、伝統技術を深めながら進化させ、伝えていく人々がいます。東北STANDARDは、東北のものづくりを軸として、東北に根付いた「暮らし方」を見つめる視点です。

Official Site - http://tohoku-standard.jp

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南部裂織

<青森県>


「裂織(さきおり)」は、使い古した布を細く裂き、織りこみ、衣服や生活用品へと再生する織物です。経糸に木綿糸、横糸に古布を用いて織った裂織は、丈夫で温かく、使いつづけるとやわらかな風合いになります。江戸時代、寒冷な気候の為に木綿の育成や入手が難しかった、南部地方(青森県東部)では、大切に使った布を素材にこたつ掛けや仕事着、帯などを織り、それは農閑期の女性の手仕事でもありました。

けんか七夕

<岩手県>

岩手県陸前高田市気仙町の「けんか七夕」は、900年の歴史を持つお祭りです。太鼓の乱れうちと共にロープを引っぱり合い、杉の丸太がくくりつけられた山車をぶつけ合います。東日本大震災の際に4基あった山車のうち3基が津波で流され2011年は1基で巡行。2012年に新たに1基が新調され、2013年には震災前と同じ場所でのけんかが実現しました。

小岩少年、鹿踊と出会う

<岩手県>

小岩秀太郎: 小岩秀太郎です。公益社団法人 全日本郷土芸能協会で働いています。肩書きとしては事務局次長になります。ただ、うちの協会には4人しかいないので、事務局次長っていうのは一番下のポストなんですけど。郷土芸能とはその土地土地に住む一般の人たちが、お祭りとかで衣装を着たり、太鼓を叩いたりして、日常のより良いくらしを願ったり、祈ったりする芸能のことです。僕たちの協会は、その郷土芸能をやっている人たちが集まって、社団法人として法人化したものなんです。

鹿踊、岩手、東北

KANEIRI STANDARD STORE シリーズ企画展[1 WALL,1 TOHOKU] トークイベント「鹿踊、岩手、東北」

田附 勝(たつきまさる)

写真家 1974年生まれ。富山県出身。写真集に2007年『DECOTORA』、2011年『東北』、2013年『KURAGARI』、2014年『「おわり。」』等がある。『東北』で2011年度木村伊兵衛写真賞受賞。現在は、縄文をテーマに撮影を続けている。 http://tatsukimasaru.com/

小岩 秀太郎(こいわしゅうたろう)

公益社団法人全日本郷土芸能協会事務局次長、東京鹿踊代表、舞川鹿子躍保存会会員 1977年生まれ。岩手県一関市出身。小学校時代に郷土芸能「行山流舞川鹿子躍(ぎょうざんりゅうまいかわししおどり)」を習い虜になる。現在は全国の郷土芸能に関わりながら魅力の再発見と発信に取り組む一方、東日本大震災被災地の郷土芸能の復興支援やネットワークづくりに携わる。また「東京鹿踊(ししおどり)」を組織し、ワークショップなどを通して郷土芸能の価値の発見と創造に挑戦中。

こぎん刺し

<青森県>


「こぎん刺し」は、江戸時代に端を発した津軽地方に伝わる刺し子技法の一つです。藍染めされた麻の野良着「こぎん(小布)」に、白い木綿糸を刺し込み、粗い布目を補強し保温性を高めました。1年の半分近くを雪に閉ざされ、経済的にも社会的にも制約されていた厳しい生活の中、こぎん刺しは農村の女性達の嗜みにもなり、衣服を装飾する細かな幾何学模様が次々と生み出されました。

会津張り子

<福島県>


「会津張り子」の起こりは400年程前。豊臣秀吉に仕えた蒲生氏郷(がもううじさと)公が、会津の文化、経済、産業の礎を築く為、京都から人形師を招き下級武士達に技術を習得させ、生活の糧としたことにはじまります。
この地方の張り子の多くは赤色を基調に彩色され、
開運や魔除け、五穀豊穣や商売繁盛を祈願されてつくられた、縁起の良い置物です。

南部鉄器

<岩手県>


「南部鉄器」は岩手県盛岡市と奥州市水沢区で生産されている鉄器の総称です。旧南部領の盛岡と旧伊達領の水沢では、それぞれに異なる鋳物の歴史を持ちます。両産地では日本各地から呼びよせられた、鋳物師(いもじ)や茶釜職人達によって、鉄瓶、鍋、釜以外にも、梵鐘や仏像から燈籠や大砲まで、様々な鋳物の製造が行われていました。

大堀相馬焼

<福島県>

「大堀相馬焼」は、江戸時代初期に福島県浪江町の大堀地区で創業された焼物です。大堀地区を納めていた相馬藩の保護の元、江戸時代末期には東北地方最大の焼き物の産地となりました。青磁釉に墨を塗込む「青ひび」の模様、「走り駒」の意匠、「二重焼」の構造が特徴として知られます。制作技法は数少ない陶匠の間での秘密となり、現代に受け継がれてきました。

仙台こけし

<宮城県>


東北に伝わるこけしづくりのなか、作並系こけし工人高橋胞吉(えなきち)がつくる「胞吉型」と呼ばれる仙台こけしは、収集家に高く評価されました。胞吉の没後「玩具庵こけし屋」の鈴木清、鈴木昭二によってこけしの型が復元されました。赤と黒のシンプルな2色使いが特徴となります。

秀衡塗

<岩手県>


「秀衡塗(ひでひらぬり))」の呼び名は中尊寺(平泉町)や、その周辺に伝わる「秀衡椀」がもととなります。藤原秀衡の時代に金色堂造営のために、京都から招いた工人達によってつくられた、
豪華絢爛の金色の椀が「秀衡椀」の起源であると伝えられています。源氏雲や吉祥などの紋様に、菱形の金箔が施されたものが伝統的な意匠で、黒・朱・金が基調となっています。

常盤紺型染

<宮城県>

江戸時代後期、東北には絣(かすり)織りがなく、絣の紋様を元に型紙をつくって染める「常盤紺型染(ときわこんがたぞめ)」がうまれました。秋田県の染め物屋「最上屋」が、仙台の染め物屋達に常盤紺型染の技術を伝えたことで仙台での生産が盛んになり、
体に馴染む柔らかさと、華やかではっきりあらわれる紋様から、全国的に親しまれました。

お鷹ぽっぽ

<山形県>

「お鷹ぽっぽ」に代表される笹野一刀彫は、山形県米沢市笹野地区に伝わる木彫玩具です。お鷹ぽっぽの“ぽっぽ”とは、アイヌ語で“玩具”という意味。米沢藩主上杉鷹山公が、農民の冬期の副業として工芸品の製作を奨励したことにはじまり、魔除けや“禄高を増す”縁起ものとして、親しまれてきました。

樺細工

<秋田県>

「樺細工(かばざいく)」は、山桜の樹皮を素材につくられる工芸品です。今から約230年前、城下町角館で武士の手内職として奨励され、藩主の手厚い保護の元、地場産業として根付いてきました。世界でも類をみない、秋田県を代表する樹皮工芸です。

庄内刺し子

<山形県>

「庄内刺し子」は、津軽の「こぎん刺し」南部の「菱刺し」とならぶ、日本三大刺子の一つです。藍染の木綿布に白い木綿糸で刺しこまれる緻密な紋様は、作業着を補強し保温性を高め、豊作、魔よけ、商売繁盛といった、人々の願いや祈りを込めた記号的な装飾となっていきました。

デコトラ

<青森県>

2007年に刊行された、写真家・田附勝さんの初写真集『DECOTORA』。写真に映し出された数々のデコトラたち。発想と技術と、何よりも誇りを前面に押し出した圧倒的な自己主張は、乗り手であるトラッカーの生き様をありありと表現している。彼らは何を思い、何を目指してトラックを飾るのか。青森県八戸在住の生きる伝説、「The originator of the decoration trackーデコトラの創始者」こと夏坂照夫さんにお話を聞きました。聞き手はもちろん田附さん。夏坂さんの口から語られる、イマジネーションとクリエイティビティの出発点は、ぼくたちが想像しているクリエイティブの概念をやすやすと塗り替える、こだわり抜いた男の美学。ファストファッションだか量産型だかは引っ込んでろ。これが自己表現、これぞアート。八戸発の暴走トラック、全9回に渡る圧倒的ボリュームでお届けいたします。

曲げわっぱ

<秋田県>


大館市でつくられる「曲げわっぱ」は、秋田杉を素材にした曲げ物で、「わっぱ」の語源は、「輪」を意味するアイヌ語を起源としています。江戸時代に大館城主佐竹公が領内の秋田杉を利用し、下級武士の副業として曲げわっぱづくりを奨励し発展しました。神棚に備える三宝やお弁当箱など、様々なうつわが生産されています。

南部伝承イタコ

<青森県>

イタコ。
「南部地方」と呼ばれる青森県東部や岩手県の北部・中部には、現在でもイタコがいます。街中に「イタコはこちら」なんて看板が出ていますし、飲み屋のおばちゃんが「昔、熱が出たらイタコさんにかかったわ」
なんて話してくれたり、その存在はわりと当たり前のように受け入れられています。死者の霊を降ろす、本州の最果ての恐山にいる、おまじないで病気を治す、などと断片的に耳にするイタコの情報はとても不思議なものばかり。この東北の南部地方特有のイタコという文化は、いつから始まり、どのように社会の中に存在してきたのか。南部地方に伝わる由緒あるイタコの後継者である松田広子さんと、南部地方の郷土史を研究している江刺家均先生にお話しを伺いました。
「そもそも、イタコってなんですか?」